エキセントリックな大家さん・その2

さて、前回の続きです。前回はちょっとイカレた大家である J の大学時代までの経歴をお話しました。裕福な家庭に生まれ、寄宿学校から Oxbridge へ進学し卒業するまでのお話でした。
大学を卒業して以来、J は Upper Middle Class 特有の保守的なエリートであり、一般社会における時代の洗礼を受けていないかといえばそうではありません。しっかりと受けています。というよりは、ドップりと浸かることとなるのでした。その時代の洗礼とは、ビート文化(Beat Culture)であり、J も一端の実践者、すなわち「ビートニック」(Beatnik)であったわけです。


ビートの文化はヒッピー文化(Hippie Culture)の先駆けとなる社会現象で、50年代初頭にアメリカで発生しアメリカ・ヨーロッパを中心として起きた社会現象です。そもそも、ビート文化という現象は、アメリカにおける新たな文学活動を起源とし、日本の「禅」思想が大きく影響を及ぼしています。端的に言えば、純粋に精神世界(Spiritual world)を追求しようという社会現象で、戦後の過度な物質世界(Material world)への反動とされています。


この精神世界の追及において欠かせないのが、ビートニックにとっては「ドラッグ」、とくに LSD だったわけで、いわゆる「サイケデリック」(Psychedelic)という考えが取りざたされるようになりました。また、ボヘミアン快楽主義(Bohemian Hedonism)ともいわれるように、快楽の追及が生き様、だったのです。

さて、お気づきでしょうが、J は英文学専攻でしたので、ビート文化に無関心であったはずはありません。それどころか、ビートニックの王道を行くような人生を歩むわけです。


では、その王道とは何か? そう、J のついた職業は「詩人」だったのです。私も J の初期の何篇かの詩を読ませてもらったのですが、彼の扱う題材はすべてにおいて暗く陰鬱としていました。なぜかと J に聞くと、理由は簡単でした。この時期に彼は「うつ病」(depression)を患っていたのです。そして、極めて独特な治療が始まるわけですが、このあたりから J のイカレ具合、エキセントリック(eccentric)さが加速していくのでした。いいかえれば、ビートニックとしての本領発揮です。

エキセントリックな大家さん・その1

イギリスに留学していた際、下宿していた家の大家(Landlord)は、奇人変人(eccentricity)レベルの非常な変わり者でした。ですから、たくさんの逸話があり、一度では収まりきらないので、今回は第一回目としまして、ちょっとイカレた、エキセントリックな大家さんの生い立ちからお話ししたいと思います。

彼の名前は J としておきます。まだ存命だからです。J は極めて裕福な家庭に生まれました。父親は貴族ではありませんでしたが、ナイト(Knight)の称号を持ち、だれでも知っている某大企業の会長でした。父親の兄は別の分野で大変有名な人だったのですが、ここをハッキリさせてしまうと、人物が特定されてしまうので伏せておきます。父親の妻、つまり J の母親もまた、財閥クラスの家庭出身でした。ですから J は一言でいえば「中流の上」(Upper Middle)の家庭出身といえるのです。


このような家庭環境に生まれた子供の常として、J は寄宿学校(Broding School)に入れられました。


通常、イギリスで寄宿学校に入るのは12-3歳からですが、第二次世界大戦の戦時下という状況と家庭の事情もあり、なんと4歳から、寄宿学校で暮らすこととなりました。大家さん自身も言っていたことなのですが、このような寂しい幼少時代の体験が、後の彼の人格形成に多大な影響を与えたことは言うまでもありません。当時の寄宿学校は軍隊のような場所だったようで、上級生からの鉄拳制裁もしばしばあったようです。過度の「自由に対する希求」はこの時に養われたものとなります。


寄宿学校卒業後は、大方の卒業生がそうであるように、オックスフォード・ケンブリッジ大学(Oxbridge)へ進学しました。大家さんは前者に進んだのですが、勉強もそこそこに演劇に明け暮れていたようですし、期待していたほど楽しい大学生活ではなかったようでした。大学では英文学を専攻していたのですが、授業スタイルがつまらなかったようで、卒業後しばらくしてからUniversity College of London つまり UCL で再び勉強し、ここで初めて勉強の面白さを知ったそうです。

そして、UCL 卒業後、ついに全ての Upper Middle の家庭に課せられた「義務教育」から解放された J は、自由を求めて羽ばたき始めます。はたして選んだ職業とは…

Belsize Park(ベルサイズ・パーク)

ロンドンでの学生時代に下宿していたのはハムステッドというエリアです。ちょうど真北には、有名なハムステッド・ヒース(Hampstead Heath)があり、自転車で10分程南に行けば、これまた有名なカムデンタウン(Camden Town)があります。大学までは自転車で30分弱でした。

しかし、雨の日は自転車通学が大変なので、主にバス24番か地下鉄(Tube)のNorthern Line を使ったものです。最寄りのバス停は Southend Green という国鉄の Hampstead駅 の向かいにあり、映画やドラマでもたびたび登場する起点停留所です。このバス停から徒歩5分ほどの距離にあるのが、Belsize Park駅 で、今回のお話となります。


はじめて Belsize Park と聞いた時には、もちろんベル(bell)のような小さな公園があるものだと思っていました。 しかし、下宿の大家さんに聞いてみると、Belsize Park とは Park といっても公園があるのではなく、公園に適した緑地(Parkland)という意味だと、そして Belsize はフランス語の bel assis 「好立地・恵まれた土地」からつけられたのだよ、と教わったのです。


いずれにせよ緑の豊かな場所であり、閑で落ち着きのある場所です。ですから、自室で勉強をするにはモッテコイの場所、まさに bel assis だったのです。ちなみにかの有名な思想家・経済学者である Karl Marx(1818 – 1883)も一時期このエリアに居を構えていたこともあったとのことです。