[コラム]日本の歴史とウイルス対策

時代を超えるウイルス

 2020年の3月以降、日本人の社会に対する考えは大きく変わりました。いうまでもなく、新型コロナウイルスの流行によるものです。今のところ日本の死亡者の数は心配されたほど多くはありません。しかし、海外、とくににヨーロッパやアメリカで多くの死亡者を出したことが毎日のニュースで報道されたことにより、日本人にとっても他人事ひとごととしてではなく、自らも強い危機感ききかんをもつこととなりました。やはり2020年は日本人だけではなく、全人類にとって大きな「時代の変わり目」となったと言えるでしょう。過去にもウイルスの流行が世界の流れを大きく変えたことがあります。有名なのが「スペイン風邪かぜ」であり、第一次世界大戦だいいちじせかいたいせん(1914〜1918)を終わらせた大きな原因とされています。さて、人類の歴史はウイルスとの戦いであったともいえます。ワクチンの普及ふきゅうは19世紀の初頭までまたなくてはなりません。それより少し前の時代には経験からワクチンのようなものを用いたこともありましたが、あまり効き目はありませんでした。つまり、ワクチンの普及する前には医学的にほとんどなすすべがなかったのです。それでは昔の人々、とくに昔の日本の人々はどのようにウイルスと戦ってきたのでしょうか?

 明治時代めいじじだいより昔の日本では、ウイルスによる病気を「疫病えきびょう」、「はやり病」などとよんでいました。 歴史的に見て一番恐れられていた「疫病」は「天然痘てんねんとう」で、全身に小豆あずきのような「できもの」ができるため、その見た目と死亡率の高さから、当時「疫病」や「はやり病」と言えば、天然痘が代表的なものでした。おそらく見た目で判断できない新型コロナウイルスは、たんに「風邪」とみなされていたことでしょう。 しかし、ウイルスについての正確な知識が殆どなく、医療が発達していなかった時代にあっても、人々はさまざまな形でウイルスへの対策を講じました。ウイルスへの対策、つまり今でいうところの「治療法ちりょうほう」や「ワクチン」のようなものです。

治療法としての呪術 <飛鳥あすか奈良なら時代>

 日本の歴史でもっとも古いウイルスの流行は『日本書紀にほんしょき』(日本で一番古い歴史書の一つ)に書かれていて、第十代の天皇とされ、実在じつざいした可能性のある最初の天皇、崇神天皇すうじんてんのうの時代となります。崇(=あがめる)、神(=かみ)という名前の通り、崇神天皇は神々をまつることにとても熱心でした。ウイルスの流行をおさめるために崇神天皇がとった手段も神々を祀ることでした。ここで登場する神が大物主神おおものぬしのかみで、崇神天皇にウイルスの流行をおさえる方法を教えたとされます。これはつまり「治療法」で、具体的には大物主神の子孫を見つけ出し、その子孫によって大物主神を奈良県の三輪山みわやまに祀らせるように告げました。いいかえれば、先祖をお祀りすることが「治療法」であると言えるでしょう。

 奈良時代(8世紀)になると、天然痘の大流行がありました。この時の天然痘の流行は壊滅的かいめつてきであり、当時の人口の25〜35%の人々が亡くなったと言われています。そして、有名な「奈良の大仏」がつくられた理由の一がこの大流行にあったとされ、大仏に祈ることによって、天然痘の終息しゅうそくを願ったのです。いかに多くの人々が亡くなったとしても、ウイルスについての知識がないことから、国家としても大仏に祈ることが精一杯せいいっぱいの「治療法」だったと言えます。ちなみに、奈良時代に造られた仏像の中で、薬と医療に関係する「薬師如来やくしにょらい」や、人々の願いを何でも聞いてくれる「十一面観音じゅういちめんかんのん」が多いのは、ウイルスの流行となんらかのつながりがありそうです。

まものワクチン <平安へいあん江戸えど時代>

 平安時代(9〜12世紀)のお坊さんに良源りょうげん(912〜985)という人がいます。このお坊さんは「魔術師」のような人で、魔法を使って「鬼」となりウイルスの流行を止めたとされています。そしてその鬼の見た目から「角大師つのだいし」とよばれ、多くの人から尊敬を集めました。佐野厄除け大師さのやくよけだいし川越大師かわごえだいしでは今でも角大師が祀られています。このようなお寺にいくと角大師の描かれた護符ごふ(お札)が販売されていて、そのユニークなイラストから今でも人気があるものです。

ここで面白いのは、鬼が病をおさえこむ、「どくもって毒をせいす」、つまり「ワクチン」とにた発想はっそうが見て取れます。そうは言っても、ワクチンとは、天然痘であれば天然痘ウイルスを用いた感染予防のこととなります。時代は少し新しくなりますが、このような意味で「ワクチン」にもっともにているのが「疱瘡神ほうそうしん(ほうそうがみ)」です。 疱瘡神の起源はよくわからないのですが、江戸時代(17〜19世紀)には盛んに祀られてきました。 「疱瘡」とは「天然痘」のことで、天然痘のウイルスを神として見做みなすのが疱瘡神です。人々はこの疱瘡神を祀ることによって、天然痘の予防や、感染しても軽症でおさまることを期待しました。このような考え方は、「ワクチン」の基本的な考え方とほぼ同じと言えましょう。したがって、江戸時代までに「心のワクチン」とでも言えるものがつくられていたということになります。

昔の人を知る

 このように昔の日本人は「神」「仏」「鬼」などを通してウイルスと向き合ってきました。今の私たちの感覚からすると、科学的ではなく、逆に危険な考えに思えるかもしれません。しかし、昔の日本人にとっては、「神」「仏」「鬼」などを通してしかウイルスと戦うすべがなかったのですから、当時の人々をけなしてもあまり意味がないでしょう。そのようなことよりも、「神」「仏」「鬼」などに今でいうところのウイルスの「治療法」や「ワクチン」と同じ役割があったことを知る時、日本の歴史を学ぶオモシロさがいちだんと深まるのではないでしょうか。