さて、前回の続きです。前回はちょっとイカレた大家である J の大学時代までの経歴をお話しました。裕福な家庭に生まれ、寄宿学校から Oxbridge へ進学し卒業するまでのお話でした。
大学を卒業して以来、J は Upper Middle Class 特有の保守的なエリートであり、一般社会における時代の洗礼を受けていないかといえばそうではありません。しっかりと受けています。というよりは、ドップりと浸かることとなるのでした。その時代の洗礼とは、ビート文化(Beat Culture)であり、J も一端の実践者、すなわち「ビートニック」(Beatnik)であったわけです。
ビートの文化はヒッピー文化(Hippie Culture)の先駆けとなる社会現象で、50年代初頭にアメリカで発生しアメリカ・ヨーロッパを中心として起きた社会現象です。そもそも、ビート文化という現象は、アメリカにおける新たな文学活動を起源とし、日本の「禅」思想が大きく影響を及ぼしています。端的に言えば、純粋に精神世界(Spiritual world)を追求しようという社会現象で、戦後の過度な物質世界(Material world)への反動とされています。
この精神世界の追及において欠かせないのが、ビートニックにとっては「ドラッグ」、とくに LSD だったわけで、いわゆる「サイケデリック」(Psychedelic)という考えが取りざたされるようになりました。また、ボヘミアン快楽主義(Bohemian Hedonism)ともいわれるように、快楽の追及が生き様、だったのです。
さて、お気づきでしょうが、J は英文学専攻でしたので、ビート文化に無関心であったはずはありません。それどころか、ビートニックの王道を行くような人生を歩むわけです。
では、その王道とは何か? そう、J のついた職業は「詩人」だったのです。私も J の初期の何篇かの詩を読ませてもらったのですが、彼の扱う題材はすべてにおいて暗く陰鬱としていました。なぜかと J に聞くと、理由は簡単でした。この時期に彼は「うつ病」(depression)を患っていたのです。そして、極めて独特な治療が始まるわけですが、このあたりから J のイカレ具合、エキセントリック(eccentric)さが加速していくのでした。いいかえれば、ビートニックとしての本領発揮です。