さて、2021年度から英語教育が大きく変わります。単語を覚える分量が、小学生で(700語)中学生(旧:1200語 ⇒ 新:1800語)、高校生(旧:1800語 ⇒ 新:2500語)、と大幅に増えます。とはいっても、これは学生の作業量が増えるのみで、暗記に費やす時間を増やせば対処できる問題です。
英語に関した新学習指導要領の大きな狙いは、日本での「英語の公用語化」だと思います。その一端は、新学習指導要領が、高校生までに「ディベート・プレゼンテーション」を英語で行えるようになることを目標として掲げることからうかがい知れます。中学校においても、英語による「コミュニケーション力」を重視することが記載されていて、中・高いずれの場合も、「話すこと」「アウトプットすること」に比重を置きたいようです。
新学習指導要領の問題は3つあります。(塾の対応としても)
①コミュニケーション能力 ②英語による授業 ③頭のいい子に不利
① コミュニケーション力は、そもそも「生まれつき」の能力であり、コミュニケーションの苦手な子供はどうすればいいのか?ーそもそも英語塾が対応すべきことなのか?― コミュニケーションを形式化し、苦手な子供に「Aと入力したらBと振舞うように」と永遠に教えこむべきなのでしょうか?これではコミュニケーションの苦手な子は「ロボット」にならなくてはいけません。いや、「ロボット」になれればまだいい方かもしれません。コミュニケーションの苦手な人々は、社会不適合者と見做されることを懸念しています。一種の「優生教育」なのです。日本は「パンドラの箱」を開けてしまったような気がします。一方で、人々の多様性を叫び、他方で、生まれつきの能力で人を判断する。謎です。
② 授業は英語で行う。文科省は日本人の多くがスタンダードな英語で自分の意見を主張できるようになることを期待しているのでしょう。なるわけがありません。今でも植民地を多く持つイギリスに住んでいた経験から予想しましょう。私の予想は、日本において、日本語が母国語である限り、英語は「ピジン言語化」します。「ピジン言語(Pidgin Languages)」というのは、昔、日本の植民地であった「満州」在住の中国系住民が使っていた日本語「私、日本語しゃべれるアルよ」というあれです。全ての英語教師を英語圏出身者に置き換えればこうはなりませんが、その時には日本語が母国語であることは、もはやないでしょう。文科省も日本人の言語能力を信頼しすぎなのかもしれません。
③ 一日の大半を日本語を用いて過ごす子供たちに、英語の単語は英語で覚え、文法も理解できるまではフィーリングで覚えよう、と学校は指導するようになります。特に利発で早熟な子供は、モノゴトを考え、そして理屈でモノゴトを理解していきます。そのようにモノゴトを思考し理解してきた言語は、日本語ですから、それを急に英語に切り替えるには、よほどの適応能力が必要になるでしょう。それでも、利発な子供たちは、対応していくと思います。しかし一番心配なのは、適応していくまでの過程で、くじけてしまうことです。今迄に形成された自我が、一定期間通用しなくなるからで、利発な子供ほど苦労することになるでしょう。
そもそも、母国語で大学教育まで受けられる国というのは、世界においても少数派です。本当は、その奇跡のような状況を大切に守り、かつ、発展させていきたいところなのです。英語は道具です。その道具に振り回されるのだけは避けましょう。